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Twitter totoro663
23/2/3
私は,子供の時から,青が大好きでした。自分でも,何でこんなに青が好きなのかなと不思議に思ったことがありました。
33才の時に,心=光(潜在能力点火法)に出会い,私は,◎663○641で大切な心の色は青
と知り,納得しました。
実は,28才の頃には,本屋で出会い、立ち読みして,著者はGLAという宗教団体にいらしたとか、開門編も立ち読みして,何か不思議な本で、すごく魅かれるものがありました。でも,尊敬する上司から,おまえは宗教だけはやめろ,のめり込んでしまうと言われていましたので,後ろ髪を引かれながら,書棚に戻したのです。
2/4
33才の時に,飛び込み営業で盛岡の治療院に訪問した。ドアを開けたら,高橋信次先生の心の断面図が貼ってあり、◎134のH先生が,患者さん数人に,心のお話をしていた。父の躁鬱症の事を相談した。大丈夫治るというようなことをおっしゃった。
私は何回か通った。GLAに入会しようと思った。
2/5
GLAの会合に行ってみた.なんか、雰囲気が明るくなく、あまり良い印象ではなかった.
前に、さわや書店で立ち読みして、後ろ髪を引かれながら戻した本を思い出した.三木野吉先生著ノアの箱舟1. 先生がGLAの講師を務め、辞めたという経歴を思い出したのである。
入会する前に、やめた人の本を読み、外側から客観的にGLAをとらえたいと思ったのでした。
2/6
本をノアの箱舟から369編まで全8冊買いました.S59.7.17でした.その日は、あとで気づくのですが、ノアの箱舟が2.17に大雨が降り出し、40日40夜、降り続け、全地は水浸しになり、漂流を続け、アララテ山(岩手山そっくり)の頂きにたどり着いたのが7.17だったのです。
2/7
仕事以外は光の本に没頭し、1週間で読み上げました.これだこれだ!、俺が求めていたのはこれだ!と興奮しながら. 私は高校2年の時、勉強とバドミントンクラブの二つに集中し、充実した日々を過ごしていました. ある夜、布団に入り、電気を消し、寝ようとしたら、丸い蛍光灯がぼーっと光るのです.
最初は残像かなと思って、見ていたら、その内、渦を巻くように動き出し、すっと消えたのです. そして、また出てきて、それを繰り返すのです. 数分見ていた記憶があります.これは何かなと不思議でした. そのことが、なんと、369編に書かれているのです!1分間に36発。
2/8
学生時代、山形市と雪深い米沢市で過ごしました. ある、雪の降る寒い日、ストーブがなかったので、こたつに入り、横になって、科学の本を読んでいたら、眠くなってきて、うつらうつらしている時、この宇宙に、電磁気力、弱い力、強い力、重力の4つの力と統一理論や熱力学、相対性理論他、いろいろな法則、理論があるが、何かもっと根本的なシンプルものがあるのでないか、それに出合えたら幸せだろうなとぼんやり、また、直感的に思った.
それが光の本を読み進むにつれて、それが心=光だ!と思い、ますます、これだこれだ!と思った.
この宇宙に何かもっと根本的なシンプルものが貫いているのではないか。
2/9
18歳の時に、東大紛争があり、東大入試が中止になり、その余波で、受験戦線が大混乱した.
私は、すべり止めの大学に合格はしたが、行く気持ちはなかった.できれば浪人して、再チャレンジしたかった.
でも父が下宿を勝手に決め、いやなら帰ってきていいからと、行きたくなかった山形に行かされた。
とりあえず、入学したが、全然勉強する気になれず、パチンコで稼いだり、アルバイトしたり、酒飲んだり、時には、友だちのボランティア活動を手伝ったり、自由を謳歌していた.
でも、浪人して、翌年再チャレンジしたいという気持ちが、時々、よぎるのだった。
2/10
幸い、下宿の隣の部屋に住む斉藤政憲君(◎617)を通して、「山形世代にかける橋」というボランティア活動や、お世話役の元防衛庁三佐、寺沢一男氏や酒田東高卒の一生の友人達と出会った。
寺沢一男氏は自衛隊岩手地方協力本部二勤務している時に、盛岡で馬場勝彦氏に出会い、盛岡のために何かしたいという馬場さん達の熱意から、「盛岡世代にかける橋」の立ち上げを全面的に支援し、いろいろアドバイスもし、さらに「仙台世代にかける橋」の立ち上げもバックアップしてきた。 時々、「山形世代にかける橋」の応援にも来てくれていた.
当時、盛岡は、ボランティア活動のメッカとして、注目を浴び、永六輔さん、秋山ちえ子さんなどが、よく盛岡を訪ね、秋山ちえ子さんは「盛岡世代にかける橋」のいきいき村の村長さんもされました。
2/11
4年生になるまで、受験の時期が近づくと、もう一度志望校にチャレンジしたいなどと、ずっと引きずっていた.
そして、目標を見失い、これからどう生きていけばいいか、迷っていた.
光で言うシャイニング、ラビリントン、迷宮に入っていた.
そして、司馬遼太郎著「龍馬がゆく」に出会い、龍馬の生き方に感動し、これだ、これだ!龍馬のように世の中を変えていくような生き方をしたいと強く思った。
そして、寺沢氏が盛岡で事業を通して、地域に貢献しながら、その収益で街づくりをやっていこうという理想の元に昭和47年に設立した「株式会社岩手新生活互助会」に、「盛岡世代にかける橋」の仲間達が参加し、私も昭和50年に入社した.
いろいろあり、半年で社員が、皆辞めてしまい、寺沢さんと昭和51年に新たに「株式会社岩手互助センター」を設立した.
2/12
実は、すべり止めの二期校はどこでもよく、おばが茨城に住んでいるので、茨城大の願書も取り寄せ、それを書いている時に、自分の意思とは別に間違えせられた感じがした.しかもスローモーションで.このような経験は、人生の中で4〜5回ある。
皆、光でない方に行こうとするとブレーキがかかって方向転換させられた.業者から勧められて、こんなことをしたら、信用を落とすのでないかと迷いながらサイドビジネスの書類を書いている時に間違えせられ、これはやるなという事だなと思いやめた。この時もスローモーション.
2/14
32歳の時、道具を揃えて無能唱元・六燿会の瞑想法をやろうと決意すると、翌朝、こんなことをしていられないと急に思い立ち、盛岡の借家を引き払って、北上の実家から通い出した。
そして、2ヶ月位、汽車通勤しながら、お客さんから勧められた生長の家の「生命の実相」を9巻まで読み、神想観(瞑想法)をやろうと決意すると、次の朝、こんなことをしていられないと思い立ち、盛岡に再びアパートを借りて、移り住んだ.
すべて、光のコントロールでした. 二回書類を間違えさせらた時は、自分の意思とは別に、腕を何かに捕まれて、間違えさせられたという感じでした.
2/15
茨城大の事は,54年経った今でもその時の感じを思い出す事ができる. 天(光)がお前は茨城でなく、山形に行けという事だったと思っている.
そこに卒業後、盛岡に行くような仕掛けを用意してあったのです!
ちゃんと勉強していれば、東京、関西方面の繊維系、高分子系の会社にはいっていたと思う.
でも、盛岡に誘導された.長男だから、両親の面倒を見なければという気持ちもあった.
それは、光に出会うためだった。
私は、工学部を卒業して、『光学部博士課程』に入ったと思っている.
光のコントロールで、私は山形に行かされ、そして、S50年に盛岡に住むようになり、仕事を通して同い年の◎663の女性と出会い、あるショッキングな事で、悩み苦しみ、そこから9年かかって、心=光に出会ったのです。
彼女の光が◎663○639とわかった時、ああ光だ!とつくづ出会いの意味がわかった.
2/16
光にたどり着くために、18歳から6年間、迷宮に入り、7年目で社会人になり、一回脱出したけど、その後、さらに9年間、もっと深い迷宮に入れさせられたと思っている. というより、生まれる前に自分で設計した人生プログラムだったのだろう。
始めの6年は、目標を見失ったが、自己否定はしなかった。焦りはあったが、苦しさはそんなでもなかった.
でも、次の9年は、反省しすぎて、自分を見失い、どんどん自信を失い、結果的に自己否定になり、何やっても心の底から楽しめず苦しかった.ひどい時は、何食べても味を感じられず、春になって、梅や桜を見ても、咲いたなという事はわかるが、春だ、嬉しい!などと気持ちが起こって来なかった.無味乾燥とはまさしくこの事だった.
死にたいとは思わなかったが、死にたいと思うのはこういう時なのだろうなと思った. 完全に自律神経失調症だった。
相変わらず、蟻地獄の底にいて、どうやったら、明るい世界に這い上がれるかわからなかった.
2/18
そして、S59年、治療院の細野さん(◎314)に出会い、GLA(高橋信次先生◎134)を知った.私の光は◎663○641これを足すと「314」になる.これが私の人生で仕掛けてくる光、ちなみに◎663の二倍の光「336」は私の守り光.
まさしく、314、134の2人が私に仕掛けてきた.光通り!!
2/19
尊敬する上司から、お前はのめり込むから宗教はやめろと言われていたが、父の躁鬱症を治すためなら、宗教でも何でもいいと開き直り入会しようとした。
でも会合の雰囲気がなんか暗く、いい感じがしなかった。
入る前に、前に立ち読みしたノアの箱舟の著者、三木野吉先生がGLAの講師をしていて、事情があってやめざるを得なかったという記述を思い出し、GLAを外側から見ようと、さわや書店に行った.
もう一度立ち読みした.前は、潜在能力点火法開門編を立ち読みした時、ずいぶん不思議な精神世界の本だなと興味を持ちながら、しぶしぶ書棚に戻したのだが、もう一度、さわりを読むと、これはすごい本でないか予感がして、ノアの箱舟1〜潜在能力点法369編、8冊、全セットを購入した。
その日が昭和59.7.17(◎461)だった。私は◎663○641、二人目の光の日だった。
9年間、ノアの箱舟のように漂流し、さまよい歩き、ノアの箱舟がアララテ山にたどり着いた7.17に、私は光のアララテ山の頂(心=光)にたどり着いたのでした.
あとで、7.17がノアの箱舟がアララテ山の頂にたどり着いた日と知った時は本当にびっくりした!
本当にこの世は光にコントロールされているとつくづく実感した.また、私の使命は心=“光”だと強く思った。
学生時代の6年も合わせて、15年間さまよったのでした.
それも光に出会うための道筋でした.
それはまた、学生時代から求めてきた、宇宙の一番根源的な法則、また、世の中を根本から変えていける本物に出会ったと確信した。トータル15年かかった!
GLAは、光に出会うためのステップだった.
2/21
日中は仕事をして、夜、日曜日、光のご本,全8冊をこれだこれだ!と思いながら1週間で読み、GLAの三船先生(高橋信次先生が恩人と慕う)に清水泰宏さんのお宅を聞いて訪ねた. 真っ暗いトンネルの中で、出口を見つけた気持ちだった。
盛岡の清水泰宏さんは、潜在能力点火法開門編、理論編によく登場する人で、三木野吉先生が光の仕組みを解明していく中で、大活躍された方だ。
この人に相談すれば問題は解決すると思った。
2/22
私より、11歳年上のS14.11.15(坂本龍馬の誕生日、命日)生まれの◎483○472だった。
これも不思議だった。私は、学生時代どう生きていけばいいか迷っていた時、司馬遼太郎著『龍馬がゆく』に出会い、試験中にも関わらず、勉強しないで、これだこれだ!と思いながら、夢中になって読み、こんなふうに世の中を変えていけるような行き方をしたいと思ったのだった。
清水さんの誕生日がその龍馬の誕生日、命日と一緒だったのだ!
これも光の仕組みだ!光の龍馬に出会ったのだ!
→清水泰宏さんのプロフィール
2/23
S59.8.3か8.4だったと思う。その夜、仕事が終わってから、清水さんのご自宅も兼ねた開成パンションを訪ねた。
その頃、私は相手の目を見れなくて、見ようとすると、首が横に振れる状態だった.清水さんは一目でそれを見抜き、私の異常性を察知した.
2/24
「今、苦しいでしょう?超能力か何かですぐ治りたいと思うでしょう?それは無理だ。瞬間に変わった事は、瞬間にころっと元に戻る.
あなたは33年かかってそうなったのだから、33年かかって元に戻ればいいでしょう!」これはなるほどと納得が行った.可逆反応だ。A→Bが33年、B→Aも33年、科学(化学)的に考えると当然の事だ.
だから、焦らないで、じっくり取り組めというメッセージだった.
2/25
「あなたは結婚したら幸せになれると思っているでしょう? やめなさい、女性だって、幸せになりたいと思って結婚するんだ。今のあなたと結婚したら、相手の女性は不幸になる。」
「まず、今は、仕事、躁鬱症のお父さんのいる家庭、この二つの事を整えることに集中しなさい.」
「 天の時(時期)が来れば、カーテンの仕切りが上がり、ご対面!といい人に出会う」
これも、そうだよなと納得した(^_^)
これで、焦りの気持ちを落ち着けて、仕事と家庭に集中して行けるようになった.
2/26
ただ、父の病気の事は、なかなか、私がどうのこうのという問題ではなく、余計な事は言わないで、まずは観察し、冷静に対処することにした.
清水さんは、元商社マンで、子供のいない伯父さんの養子になるために、盛岡に戻り、商店の協同組合に勤め、独立して、建築設備業を起業して、S57年新幹線盛岡延伸という、時代の先を見越して、パンション事業を起業していた。
経済だけでなく、哲学、歴史、森羅万象に明るい、博識の方だった.
2/27
また、鋭い方だった。お仲間からはカミソリ清水とあだ名を付けられているとの事だった。
そして、実に面倒見のいい方だった。渡辺先生も、よくおっしゃっていた。清水さんぐらい面倒見のいい人はいないと。
2/28
心=“光”は組織も団体もない。ですから、会費も会則も義務もない。ただ、心=光(潜在能力点火法実)を学びたいという人達が、渡辺先生を中心に横のつながり、ネットワークがあるだけだ。
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